第142回 少年時代2 by岬のおっさん

 

オリンピックはよろしなぁ。ほんまに燃えるわぁ。部屋にTVのないぼくにとってはネットのニュースとかYouTubeとかが頼りやけど、それでも興奮できる。だから今は週一自宅へ帰ったらTVっ子になってます。

普段はラグビーばっかりやってるように見られてるけど、オリンピックシーズンになると「おれはスポーツ好きやったんや」と再認識できますな。

思い出に生きるおっさんとしてはやっぱりオリンピックと言えば東京オリンピックやね。1964年。その数年前からオリンピックが東京に来る、新幹線という超特急列車が走る、と日本は浮かれ気分になってたと思います。(新幹線の開通が1964年10月1日。オリンピックの開会式が同10月10日です。国民の祝日「体育の日」ってのは東京オリンピックの開会式を記念して作られたんですよ?知ってた?) 
当時の開会式の写真を見てください。その下にあるのが今年の開会式の写真ですが、日本選手団の行進を見て、これ東京オリンピックの服やん!?って突っ込んだのはぼくだけじゃないと思います。(ただしぼくが見たのは白黒TVの画像ですからね。この写真のようなカラー画像を見たのは、おそらく雑誌か、はるか遅れて市川崑監督が作った「東京オリンピック」という映画だと思います。)

一見の価値あり(映画「東京オリンピック」より開会式の入場行進)→
http://www.youtube.com/watch?v=iL2Yymyb-yk

時に私は小学6年生。いつか東京へ行きたい、だけど小学校の修学旅行は奈良京都。その奈良、京都でさえ生まれて初めて修学旅行で行った和歌山の田舎もんに、東京は夢のまた夢でした。親戚もないし、どう考えても中3の修学旅行まで行けるチャンスはないのです。そんな憧れの東京オリンピックでした。

前回も書いたように小さい頃は野球と相撲に明け暮れ、中学校でバスケとかバレーとかそれまでやったことのない競技にも興味を持ち、高校ではラグビー、サッカーに・・・と幅を拡げていきました。だけど普段ほとんど触れる機会もない競技がいっぱいあることをオリンピックで初めて知る訳です。
プロレスじゃないレスリングという競技があるのを知ったのも東京オリンピックでした。アニマル渡辺と言われた無茶苦茶強い人があっさりと金メダルを日本にもたらしました。
それから重量挙げの三宅選手も絶対金と言われて金を取った。(その三宅選手の弟がメキシコオリンピックで銅を取り、その娘三宅宏実が今回ロンドンで銀を取った。)

東京オリンピック最大の思い出はやっぱり女子バレーですな。東洋の魔女。回転レシーブ。鬼の大松。いまどき「鬼の」なんて肩書きの付くコーチはあまり居ませんが、みなさん女子バレーの一流チームの練習見たことありますか?ぼくはニチボウ貝塚の小島監督の練習見たことありますが、そらもう見てて身体震えましたよ。あそこまで追い込むか!?・・ぐらいなもんですわ。だけど大松さんはそんなもんやなかったらしい。それまで特に人気もない女子バレーを世界一のチームにし、今の火の鳥ジャパンまでつなげてる功績は偉大と言っていいでしょうが、もっと言うと、女子スポーツ全体を底上げした功績もあるんじゃないでしょうか?それまで日本女子スポーツが世界で活躍したって話はあまり聞きません。(人見絹枝、前畑秀子と個人競技ではメダリストも居ますが・・)
でもまぁ小6のぼくがそんなこと考えてた訳じゃなく、河西キャプテンてスポーツウーマンのくせに何ておばんくさい髪型なんやろう(下の写真の左から3人目)・・・とか、和歌山出身の宮本選手てかっこええなぁとか、そんなもんでした。決勝戦のソ連とは身体の大きさも全然違うのに、楽々勝ってしまうんですからね。

東京オリンピックとロンドンオリンピック。間に48年の開きがあり12歳の和歌山の少年も60歳の岬のおっさんになってしまいました。最後に書きたいのはサッカーの躍進です。メキシコオリンピックは東京オリンピックの次で1968年。その時まだ24歳だった釜本は日本チームのエースとして銅メダル獲得に貢献します。その3位決定戦が今回準決勝で戦ったメキシコチームでした。
じゃあサッカーは昔から強かったんだ!と考えた君。それはちょっと早とちり。確かにあの時の日本は強かった。だけどそれは天才釜本の力に負うところが大きい。杉山という俊足(今の永井みたい)のウィングが居たし、良いチームだったとは思いますが、その後の成績を見ても決してたいしたことはなかった。第一人気がなかった。ラグビーの方がはるかに人気が高い時代が長く続いた。
Jリーグでやっぱり決定的に差がついたんでしょうね。
ラグビーは国の数が少ないから日本は世界ランク十何位で、サッカーよりずっと上だ!なんて言うてた時代はまだ余裕があったんですが、今やなでしこ、サムライブルーの人気の前に、そんなこと言ってもむなしいだけです。

昔、岬のFコーチと呑んでると、「おれはラグビー教えてるけど、いくらがんばっても世界一になれない競技を教えていてよいのか?センスのある子なら何でもできるんだから世界一になれる可能性のある野球とかサッカーを教えた方がいいんじゃないか?」としょっちゅう言ってた時期がありました。
そんな時ぼくは「日本人にも大きいのはいくらでも居る。北の湖がプロップで千代の富士がフランカーやったらNZにでも勝てる!」と反論してました。
要はそういうトップアスリートが目指してくれる人気の高い競技になればラグビーも世界一になれる、という主張なのですが、先にサッカーが進化し、小さくても勝てることをスペイン代表やバルセロナが示してくれています。そのスペイン代表に勝つんやからね!ほんまにサッカー強くなった!
ラグビーもそういうところ目指してサッカーと切磋琢磨して行きたいもんです。では、なでしこの吉報を願って就寝。(9日夜 記)