68回 スクールウォーズ by岬のおっさん

 

前回私の投稿で、禁断の「昔書いたやつ転載」ってのを初体験し、それが結構反応あったりしたもので、調子に乗って禁断シリーズその2
<(_ _)>
インターネット全盛の時代、もう世の中からは忘れているかもしれませんが、モデムでピーピーガーガーやりながら好き者が集まって掲示板なんかをやるいわゆるパソコン通信ってのがありました。
その中にラグビーフォーラムというのもあって、そこでラグビー関係の書籍の書評を投稿するコーナーがあり、そこへ私が投稿した記事を転載します。もう17年前、1994年の記事です。

本のタイトル
題 名:落ちこぼれ軍団の奇跡
作 者:馬場信浩
訳 者:
出版社:光文社
初版年:81930
価 格:680

←これは復刻されて今売られている本のカバーです。当然私が買った初版の頃にはスクールウォーズなんてタイトルはありません。

感 想:
7
月の00074(うっちぃさん)で紹介されていた本についてキョーレツに遅いコメントですけどアップさせてもらいます。(なにしろ未読を読んだのが9月はじめ、どこにほったらかしていたのか思い出さず、会社のロッカーで見つけたのが一昨日・・)
これはあの伏見工業の初優勝までの記録ですが、かなり大胆にワクワクさせるような表現で書かれています。これがかのスクールウォーズの原作なのかどうか定かではありませんが、確かにTV向けの内容ではあります。出だしから決勝の朝、東花園の駅前で伏見OBの寺前が大工大OBの河瀬にメンチを切る(これ、関西弁?)というキョーレツなものです。そして物語は進み、なんと260ページ中最後の60ページ強があの決勝戦の描写となっています。ご存じない方のために書くと、スクールウォーズというのは、このドラマを見て、私とこのラグビースクールへ入ってきた(正確にはスクールウォーズファンの母親にほうりこまれた)子が何人か居たぐらいすごく人気のあったTVドラマなのです。今回、もう一度読み直してみて、あの秩父宮の「イングランドvs日本代表」そしてこの「伏見工vs大工大高」、ノーサイド寸前の大逆転の「三洋vs神鋼」とわれわれラグビーファンをしびれさせた3つの試合が10年周期で出現し、その試合にこの師弟(山口良治、平尾誠二)がからんでいたという事実に気がつきました。


これを投稿すると、「まさしくそれが原作です。ちゃんとスクールウォーズのタイトルバックにそう書かれています。」とか、「実は私は山口先生と同姓同名です。」とか、いろんな情報が寄せられ、そこで小さな盛り上がりを見せる訳です。
そういうレスまで転載するのは他の方のご迷惑かもしれませんので、やめますが、スクールウォーズとなると今でも盛り上がってしまう私なのでもうちょっとお付き合い下さい。

まずは上記私のコメントの最後の部分の解説
「イングランドvs日本代表 63」の試合は
1971年 私は当時大学2年でこの試合を秩父宮で観戦しています。これには山口良治がフランカーで出場。彼はゴールキッカーだったのでこの3点は彼のペナルティゴール成功によるものです。ラグビー母国のフル代表に1トライも与えず、勝つチャンスも十分あった文字通り日本ラグビーの金字塔となった試合です。
「伏見工vs大工大高 73」 これは
198117日花園決勝 伏見の監督が山口良治でSOが平尾誠二で、伏見が初優勝しました。
そして「三洋vs神鋼 1816」これは
199118日社会人決勝 神鋼のCTBが平尾誠二です。

無理矢理3つの試合を10年周期でくっつけたように思われるかも知れませんが、本当にどれ一つとっても劇的な幕切れの試合だったし、しかも山口良治、平尾誠二という師弟が時代を移して登場してくるというところもあってそう書いたのです。
私は和歌山県有田市箕島の出身で、球史に残る箕島vs星稜 延長18回の感動を知っています。これは半農半漁の箕島という田舎町ではとにかくまぁとてつもない出来事で、いまだにそこらの居酒屋で「あの時、森川がなぁ」とか、おだ上げてるおっさんもいるぐらいです。だからその試合は終生忘れませんが、この3つの試合もそれに勝るとも劣らない試合として忘れることができません。神鋼ウィリアムスに届かなかった三洋ナモアの右手・・・今でもぞくぞくする。

このスコアボードわかりますか?
惜しくも尾藤さんは36日に鬼籍に入られました。おれコーヒーおごってもろたこともあるのに。ほんま残念です。合掌。


さて、本題に戻して上にも書いているように「落ちこぼれ軍団の奇跡」はラグビーを描いたTVドラマ「スクールウォーズ」の原作です。それではここで再び20周年記念CDのラグビー雑学コーナーから転載。

スクールウォーズ  School Wars

昭和5617日花園ラグビー場で 第60回全国高校ラグビー選手権大会決勝が大阪工大高と京都代表伏見工業高校の間で戦われていた。この試合はレベルの高い名勝負としていまだに語り継がれているが、終了間際の劇的なトライで7:3と初優勝を決めた伏見工業がそのわずか5シーズン前、昭和505月の京都府高校総体で花園高校に0:112で負けたチームであったことはあまり知られていなかった。この記録をまとめたノンフィクションライター馬場信浩氏の「落ちこぼれ軍団の奇跡」が発売され、その本を原作としてTVドラマ「スクールウォーズ」がスタートした。このドラマのおかげで多数のラグビー部員が誕生したことは言うまでもない。

 

原作はほとんどノンフィクション。TVドラマも実名を避けてはいるもののかなり原作に忠実なドラマ化をしている。逆に言うとまぁドラマみたいな劇的な優勝であった。
下の写真が実際の優勝シーン。この後、原作の出版とその後のスクールウォーズの放映で「泣き虫先生」は一気に有名になった。

ちなみに当時のスタンドオフ平尾はこの後、同志社、神戸製鋼と進み日本代表監督となり、スクラムハーフ高崎は現・伏見工監督として昨年伏見工を全国優勝に導いた。当時の特別コーチであったスティーブ・ジョンソン氏は今、浜松工の監督である。


実は昔からラグビー関係の青春ドラマというのは結構あって、その端緒は東宝の青春学園シリーズなのです。今回インターネットで調べてみました。

         ドラマ名     主演   競技
1965
年 青春とはなんだ! 夏木陽介  ラグビー
1966
年 これが青春だ   竜雷太   サッカー
1967
年 でっかい青春   竜雷太   ラグビー
1968
年 進め青春     浜畑賢吉  サッカー
1969
年 炎の青春     東山敬司  バスケットボール
1972
年 とびだせ青春   村野武範  サッカー
1974
年 われら青春!   中村雅俊  ラグビー

このようにスターやヒット曲をたくさん生んだこのシリーズも最初はラグビーで始まったのです。私にとっては中学、高校の時期ですから実はスクールウォーズよりも、これらのドラマの方が懐かしさはひとしおです。「でっかい青春」までは白黒番組で、進め青春からカラーになりました。ちなみにこの「青春とはなんだ!」のスポンサーは大正製薬だそうです。いまだにジャパンのスポンサーでもありますよね。

そしていよいよ1981年に大工大vs伏見の試合があり、その年の9月にこの落ちこぼれ軍団の奇跡が出版され、そして待ちに待ったスクールウォーズが1984年からTV放映されます。
主題歌「ヒーロー」がタイトルバックで流れだすともうTVの前に釘付けです。(いまだにこの曲は盛り上がります。YouTubeにいっぱい出てますので、スクールウォーズとかヒーローとか麻倉未稀とかで検索してみてください。)
今から考えてもこのドラマの人気は相当なもので、しかもこれが実話に題材を採っているとあって一気にラグビーの人気は高まりました。
それは岬ラグビーの団員数の変遷を見てもよくわかります。以前も一度出した資料ですが、ご覧ください。↓
ドラマ放映の年から、そして数年間は再放送されたこともあってかなり長く団員数のピーク状態が続きました。岬ラグビーの団員ピークとスクールウォーズの放映時期はぴったり一致するのです。

今度は2019年のラグビーワールドカップ日本開催に向けて盛り上げて行かねばなりません。みなさまより一層のご協力をお願いいたします!