第58回 卒業シーズンに思う by岬のおっさん

平山将吾 21歳 岬ラグビー(小中)→和歌山工業高校主将→朝日大学主将

7年前、中学3年生のショーゴは伸び悩んでいた。身長が伸びない。身体が小さいままでスクールでは当然筋トレもさせないから筋力がつかない。平均的な子供は中学3年間にものすごく背が伸びる。何度も経験したことだが中背の私(168cm)にとって、中1のチームに話す時には目線を落としながら話していたのに、その子らが3になって円陣の中に入ると周りの背が高くて外が見えなくなる。

6年生 vs布施RS戦でのショーゴ

小学校卒団時のチーム

そんな激しい成長を遂げる周りに遅れてショーゴは小さいままだった。中3の最後にようやく身長150cmに達した

小学校の時から小さい子供だったが足が速くほとんどハンディは感じさせなかった。すばしこさをうまく活かしてスクラムハーフとして活躍していた。

しかし中学になると周りはぐんと大きくなる。専門職であるスクラムハーフのポジションはかろうじて守り通したが、彼からパスを受けるスタンドオフ、第1センター、第2センターが凄すぎた。大阪中体連の先生達から「完全に高校レベル」と言われた自慢の岬中学バックラインに供給されるショーゴのパスは筋力のなさを露呈し伸びなかった。

中1の春(前列左端) 助っ人で出てくれた南大阪RSの硲君(後列左から2番目)と大学でチームメートになるとは誰も予想しない頃 中1の終わり。岬ラグビーの20周年パーティーで歌うショーゴ。隣は後に同志社の副将となる四至本。

後がすごいだけに起点としてのスクラムハーフのパスの遅さが目立ってしまっていた。
大阪選抜に選ばれた子ども達は他チームのエースクラスの選手達と競い合い、高校の情報を持ち帰る。そうして自分たちも高校でのラグビー生活を思い描き、進学先を決めていく。啓光、仰星、大阪桐蔭、江の川・・・と続々と決まっていった。しかし、まだ自信の持てない子ども達は「どこへ入りたい」じゃなく、「どこなら入れる」で進路を決めてしまいがちだ。

中1の大阪D地区新人戦
敗戦で全員が泣いた今は懐かしい最終戦

中3の大阪選手権 vs茨田北戦 (相手チームには東海大主将前川が居た)

入った学校にラグビー部があったというのはスクールウォーズ世代の話で、19期の彼らの頃にはもう岬町の学区には公立高校ラグビー部が一つもなくなってしまっていた。
ショーゴも気持ちが決まらないまま時を過ごした。10名のラグビー部員のほとんどが進路を決めた中3の12月。ようやく彼は「やっぱりラグビーがしたい。」と言い出した。

中3の卒業記念試合(vsコーチ戦)

高1の6月(後列右から2番目)

残念ながらもうどこも推薦はできない。彼は一発勝負で和歌山工業高校の試験を受けて合格し、ラグビー部に入部した。
写真を見ておわかりのように身長が少しずつ伸び始めた。それと共に本来持っているスピードが開花し、キック力も驚くほど伸び始めた。和工の先生方も大学で続けたい彼を応援してくれた。
現在は身長167cm、「まだオレの方が高い」と言ってみたがこちらは毎年数ミリずつ縮んでいる。もう負けてそうな気がしたから背比べはしなかった。
結果からすれば単に他の子供より成長が3年ほど遅れただけ。でもそれでラグビーを断念してしまう子がいかに多いことか!?

高2の1月和歌山工業vs近大和歌山

朝日大学ホームページより

かく申す私も168cmでは一流になれないと思って大学進学時に止めてしまった。しかしショーゴを見よ!勇気を持って続けたことによって、今や彼は東海セブンスのMVP、最近の試合を見たあるコーチによると「完全に関東、関西どちらでもAリーグ級」となったのだ。彼の同期に富田林RS出身の森君が居る。先日摂南大がAリーグ残留を決めた日に会った。彼もひときわ小さかったが続けることによって何かを掴んだ一人だろう。卒業シーズンになると子ども達に何かアドバイスしてあげられないかな・・・いつもこんなことを思う。

大学ではスピードを活かし、SH、SO、WTB、FBといろんなポジションをこなした。

花園観戦に訪れた19期生達。手前が同志社四至本、奥の左から環太平洋大坂本、大体大山本、朝日大平山、環太平洋大今坂
彼らも卒業である。