第4回 ヒーロー by 70年代ファン

すっかり寒くなった朝、手に息を吹きかけながら車を始動させた。CDのたくろうが歌い出す。歌はいとも簡単にわれわれをその時代に引き戻してくれる。たくろうは70年代初頭か。あのころ僕のヒーローは2学年下の男の子だった。高3の僕はラグビー部の仲間とTVで花園の決勝をみていた。目黒高校という新鋭校が堂々と決勝進出している。誰言うとなく「このSH、高1やで。ものすごいなぁ」

ものすごかった。衝撃だった。やることが異次元だった。ラインアウトのボールがこぼれてとんでもない方向へ落ちる・・・と見えた刹那、そのタマに飛びついてキャッチし、体を反転させながらSOの胸まで伸びていくタマを放って、自分はネコのように地面に着地し、また走り出すまでが完全によどみのないワンモーションで行われていた。僕にはそう見えた。
目黒高校はものすごいハードトレーニングをするらしい。それであっという間に頂点へ駆け上がってきた。年間の試合数が365より多いという話もあった。だけどこのSHはそんなイメージと正反対に「華麗」だった。

その試合が後に明治大学へ進み、新日鐵釜石の7連覇まで常に日本ラグビーの中心に居た松尾雄治の全国デビューだったと思う。明治でSOになって、そんなコンバートできるんだろうか?と思ってたらあれよあれよと言う間にジャパンのSOになってしまった。何万回蹴ったかしれないハイパンは常に自軍のディフェンスがトップスピードでどんぴしゃ入れるところへ落ちた。この人なら世界でも戦えると思ったものだ。こういうヒーロー(アイドル?、スーパースター?)にラグビー界ではなかなかお目にかかれない。

スポーツ界ですごいヒーローと言えば、すぐにマイケルジョーダンを思い出す。ある白人の可愛い坊やに「大きくなったら何になりたい?」とインタビュアが問うと、「マイケルジョーダンになりたい!」と答えたという。それを聞いた時、キング牧師に代表される活動家達が何十年もかけてやってきたことを全く違う方法で一人のスポーツマンがある意味簡単に、スマートに超えてしまったような気がした。

それだけヒーローの持つ力は大きい。

うちの息子達が小学生の頃、おりからのスラムダンク人気でバスケにはまり、それを応援した私が自宅にCS放送を契約した頃、NBAの主役はまぎれもなくジョーダンだった。
その前のヒーローだったマジックジョンソンはノールックパスで有名だった。顔だけじゃなく体も完全に左前方にパスを出す体勢から右前方に居るFWにすごいピンポイントパスを出していた。でもこの人のルックスは”人のよさそうなおっちゃん”でしかなかった。対するジョーダンはフェイダウェイショットとかエアーと呼ばれた滞空時間の長いジャンプからの片手ダンクとかのスーパープレーだけじゃなく、モデルとして使える素敵なルックスを持っていた。白人の坊やだって憧れる訳だ。

同じようなことがイチローのおかげで起こっているかもしれない。数年前仕事の関係で来日したロスの弁護士と話をしたが、息子の話になると「彼のアイドルはピカチュウとイチローだ」と言っていた。

こういうヒーローが出てこないとなかなか2011年のワールドカップも厳しいなぁと思う。

最後にもう一人だけ私のヒーローのことを書かせて欲しい。ウェールズが世界最強と言われていた1970年代、エイトにマービンデイビス、SHがガレスエドワーズ、SOがフィルベネット、WTBにJJウィリアムス、そしてFBJPRウィリアムスが居た。このJPRはテニスでもウィンブルドンに出ている名プレーヤーでありながらウェールズ黄金時代の名FBとしてならした。容貌はまぁ昔のラガーマン、すなわち“むくつけき”男と言っていいだろう。しかしプレーの堅実さは素晴らしく、今では決して奨励されない危険なプレーだが真正面から頭でぶつかる“ヘッドオンタックル”の名手だった。相手のCTBが自軍のディフェンスを切り裂いてウラに出てきてもあわてず騒がずヘッドオンタックル一発で仕留める。あまりに激しいタックルをみぞおち辺りにくらわされて失神してしまった敵プレーヤーに近寄り、脈をとっていたシーンはいまだに忘れられない。
そう、彼はウェールズのお医者さんだったのである。




ウェールズの有名なラグビー人形達

上がガレスエドワーズ、真ん中が橋渡団長が持っているマービンデイビス。
そして自分の人形をかかげてるのがJPRです。